他人と比較する。
比較して優劣をつけたがる。
そして「優」側に立っているとわかれば,優越感に浸る。
「劣」側ならば,劣等感に苛まれる。
勝負に拘る人生を送るってとっても大変ですね・・・。
他人事ですが,わたくしは既に「普通」を与えられなかった時点で,その勝負事のスタートラインに立つことすらもできませんでした。
早々にリタイヤ組です。
だからといってそれが悪いかと言ったら・・・
気分は最高!この一言に尽きます笑
どうして人は比較したがるのか・・・
理由は簡単です。
「自分を愛していないから」
「自分の価値を分かっていないから」
「自分がどれだけ,たくさんのものを持っているのか理解できないから」
「周りに感謝ができないから」
これらの理由です。
「隣の芝生は青く見える」これも自分の持つ芝生の青さに気づいていないんですね。
隣の芝生がセルリアンブルーで,自分の芝生がスカイブルーなのに,なぜか「同じ青」なのに他人の持つセルリアンブルーを欲しがるんですよ。
ではいざ,その「セルリアンブルー」を手に入れたならば・・・一時は喜びという感情が優位に立つでしょうが,時が経つに連れて,さらに2軒隣にあるマリンブルー,3軒隣のコバルトブルーの芝生が羨ましくなるのです。
この思考は永遠に続くループです。
そしてそのエネルギー源は「奪うエネルギー」がベースとなっています。
私はこの「奪う」人間の放つエネルギーが大嫌いです。
他人を妬み,羨み,蔑み,自身の持つ体験と常識という枠と視野の狭い物差しで他者を測りたがる人間が・・・。
そして奪う割には,「動きたがらない」という傲慢さも兼ね備えている厄介さ。
もう大変です。大抵の人に嫌われるでしょう。
そういう人に限って,自身の不甲斐なさを棚に上げて,人間関係や環境という自分以外のもののせいにするんです。
そしてそんなマインドを持つ人間の周りには,同じように「奪うベース」のエネルギーを持つ人間同士が集まります。
だからこそ,奪い合う。その奪い合うものは,様々です。
「時間」「お金」「自由」「労働力」「自尊心」「癒し」「平穏な心」「心の健康」「身体の健康」
人間同士で愚かな奪い合いをするのです。
他人と比較する。
その意識の裏には
「他人から何かを奪いたい」
この潜在意識が存在しているのです。