戦後から76年経過した2021年。
世の中はモノで溢れ、何が大切で何を重んじるのか・・・
それは個々の価値観に委ねることができるようになりました。
日本の中でも様々な文化があり、何を重んじるべきなのかは個々の価値観によって当然異なります。
本能に任せて、さまざまな学びをすることって魂の成長という観点においてはとても大切です。
わたくし、清廉潔白って綺麗事だと思っています。
誰もが「欲」があり、その「欲」は時に他者からいろいろなものを奪うこともあるでしょう。
ですが、それもまた宇宙的観点から申し上げれば「学び」なのですね。
やってみて「違った」を繰り返していけば、いずれはその過ちを自らが償うものです。
「非常識だ」「あり得ない」「異常だ」
これらはですね、自分の人生というとても狭い杓子定規で測り、自分の価値観を当て嵌めるという、
謂わば正当性と清廉潔白を盾にした他者への攻撃です。
わたくしは、とても卑怯なことだと思うのですね。
自分の人生経験から、他者への正当性を強要する人は、大嫌いなんですね。
そして「清廉潔白」を自分の美徳と捉えることはいいんです。
それを第三者へ強要することを止めてほしいのですね。
そして清廉潔白を自分でやりたくもないのに、強迫観念のように刷り込まれている人ほど、自由に自己表現している人間を蔑み、人格否定を無意識で行うというとても厄介な気質をもっているものです。
要は妬みを歪ませてしまっているのですね。
「不倫?あり得ない。不潔だ」
「犯罪者だった?そんな奴とは付き合うな」
「バツイチ?そんな奴は碌な奴じゃない」
「高卒?バカだな」
「受験失敗?入社試験落ちたって?負け組だな」
「親がいない孤児?まともじゃない」
例えばこのような思考回路ですね。
自分の中での常識を当て嵌め、その常識から逸脱している人を貶め、咎める。
一体、何の権利があって他者を批判することができるのでしょうか。
ですが、その多くのジャッジメンタルな人間を無視して自分らしさを出し、野生児でいた方が幸せになれますよ?
理由は簡単。それこそが、欲求に忠実な方が「魂の生き方」の指標ですから、
川が上流から下流へと自然と流れるようなベルトコンベアー式の一番楽な生き方です。
ジャッジメンタル人間が何を言おうが、褒められた生き方をしようが、彼らはあなた様の人生に責任を負ってくれるわけではありません。
であれば、第三者のギャラリーが何を言おうが、野生児になって自分の欲求に忠実に生きた方がいいのです。
返ってそのような人たちに嫌われた方が、むしろ関わらなくて済みますからとっても楽しく、日々が穏やかに暮らせると思うのです!