愛するということ

その愛は真か…

クライアント様や周りの方々の話を伺いますと,思うことがあります。

最初は皆様,こう仰います。

「お相手を愛している」と。ですが必ずと言っていいほどその後に,とある言葉が潜在的に視えるのです。

「自分なりに・・・」と。これは実際に言葉で発するのではなく,潜在意識の小さな小さな声です。

お相手は鏡ですから…

「自分なりに愛する」それが互いに価値観の違う自分なりの愛し方だから不満が出るのです。

互いに愛を受け入れるキャパが狭いんですね。そして利害関係や損得勘定といった依存心や執着、エゴがあるからその不純物に対して違和感や嫌悪感が出るのです。

もうその時点でお相手のことを真に愛していません。愛されている方はオーラや波動ですぐに分かります。

そして愛されていない方,愛を知らない方に限って「愛している」という言葉だけを安々と羅列する傾向が非常に高いです。

愛しているという言葉のバーゲンセール状態です。

それは,あなた様自身を大切にしていらっしゃらないのです。

潜在意識で認識はしていらっしゃる。でもその魂の声を聴くこと,つまり自分自身に向き合うことってすごく・・・物凄く勇気が必要なんです。

だからこそ「愛している」この言葉だけにしがみついて,自己の不安や認識している事実から目を背けようとしているのですね。

謂わば「愛」を現実逃避の道具にしているのですね。これは象徴的事象が「ツインレイやツインソウル」がまさにですが,それに限ったことではありません。

言葉と行動が全く一致していらっしゃらないのです。

傍にいるのに,愛していると言い張っているのに,よくよく話を伺えば

パートナーの
・コンプレックスや自信喪失という慰めなければならない自尊心が癒されていない。
・結局依存している,パラサイトしている。

ご自身は
・全く幸せのオーラや波動を感じない
・依存していることがわかっているからこそ,別れられない

といったような利害関係で成り立っている状態です。

生活できないから,寂しいから,1人になりたくないから,結婚という事実が欲しいから。

子どもがいるから,親や親戚から何を言われるか,パートナーが可哀相だからなどという尤もらしい理由を並べ立てて,現実と向き合わない,言い訳をして勇気のない自分から目を背ける。

これらのどこが愛なのでしょうか。

依存関係,利害関係,自由に生きれば家族が反対するかもという希薄な絆、、、。

どれもこれもが愛とは程遠いものです。

そしてご自身もまた,周りに愛を与えてこなかった結果が今の結果になっているだけです。

だとすれば変わらなければなりません。涙を流し,現実と向き合い,自己を見つめなおす必要があるわけです。

あなた様ならできます。絶対に。きっと
「あの時に辛かったけど,向き合って良かった」そう心から思える日が必ず来ますよ